図録解説書●明治22年 国華 第壹号 24頁 国華社 230731 トップ

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『国華』(こっか、題字は旧字体の國華[1])は、日本・東洋古美術研究誌である。1889年(明治22年)、岡倉天心らにより創刊された。現在も刊行が続く美術雑誌としては世界で最も古い雑誌の一つ[2]。現在は朝日新聞出版が[1]、美術館や博物館、美術史研究者ら向けに毎号800部を発行している[2]。岡倉天心、高橋健三の二人が中心となって創刊。雑誌名の由来は、無署名だが文体や内容から天心が執筆したと考えられる創刊の辞の一節「夫レ美術ハ國ノ精華ナリ」から取られている。明治維新に伴う文明開化の風潮が一段落し、廃仏毀釈による江戸時代以前の美術品の海外流出を憂えて、日本・東洋美術の価値を紹介・啓発することをめざした[2]。『国華』創刊当時、既に『大日本美術新報』『絵画叢誌』などの美術雑誌が出版されていた。ところが、『国華』は採算を度外視して、1冊1円という高価な雑誌だった(当時は小学校教員の月給が5円の時代であり、通常の雑誌は10銭程度だった)[3]。現在の価格は、通常の号が5000円、特集号は最高7000円[2]。当時はまだカラー写真がなかった。美術作品の図版写真では、モノクロ写真でも濃淡や明暗の微妙な差を出しやすいコロタイプを用いた。創刊以来続く1ページを使った大判のカラーは、浮世絵の多色刷り技術を応用し、模写の色別木版画を数十回刷り重ねて再現した。木版画によるカラー図版は1973年まで行われた[2]。口絵の木版画は特漉紙に一流の職人が刷って雑誌に付け、コロタイプは写真印刷術の第一人者・小川一真を起用していた。社会的には高い評価を受けたが、発刊早々に資金面で行き詰まった。そこで天心は、1891年(明治24年)、『朝日新聞』の創業者・村山龍平と上野理一の援助を受けて出資権と債権を二人に譲り渡し、示談の上で退社した。両氏は東洋古美術への造詣が深く、その関係で高橋とも懇意になっていた。二人は「金は出すが、口は出さぬ」という不文律を固く守り、『国華』の経営を盛り立て続けた。1905年(明治38年)からは経営に必要な資金を全額負担、上野の没後は村山家が単独で援助したが、1939年(昭和14年)からは朝日新聞社が経営を引き継ぎ現在に至っている。出典:ウィキペディア多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てれば大変嬉しいです。サイズは26.5×38.5×0.5㎝です。写真にあるスケールは全長17㎝です。状態は経年によるシミヤケがあります。発送はゆうパック80サイズを予定しています。東北関東東海信越北陸地区の場合1100円です。

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